蜘蛛の糸断ち切らんとして
「依……!」
教室に向かって、いつものように怠そうに歩く幼馴染の腕を掴んだ。
「……なに?」
背を向けたまま、少しばかり苛立ちを含んだ声で依が答える。俺は無意識のうちに、腕を掴む手に力を込めた。
「ニュース見た。朝の。……大丈夫か?」
昔から同じニュース番組を見ていた。その内容は、普段の依との会話で話題に上がることもよくある。こいつは意外とニュース番組を真面目に観るのだ。そして今朝も、おそらく。
「なにが」
「お前がだよ。今朝の詐欺のニュース、お前も見ただろ。あの犯人の静間って、お前の父さんだよな……?」
『──続いてのニュースです。本日未明、第三区永安に位置するアパートの一室にて、生存状態にある天使の頭部が発見されました。
警察の発表によりますと、頭部は部屋に置かれた家庭用冷蔵庫の中から見つかったということです。この部屋に暮らす男、静間依容疑者は、天使幇助の疑いで逮捕されました。調べに対し男は黙秘を続けている模様です。
なお、発見された天使は直後に駆けつけた天使対策局の隊員によって処理が完了しており、近隣地域への影響はありません。』
・・・
・・・
・・・
2059/02/03
人は変わる。それはもう、いくらでも。
面会室に設置されたパイプ椅子に腰を下ろし、五十嵐は彼を待った。後ろには、五十嵐の動き、発する言葉、その他すべてを監視するための警察官が一人立っている。
やがて、透明なパーテーションの向こう側の扉が開き、警察官とともに童顔の男が入ってきた。
「あっ、五十嵐じゃ~ん! やっほー」
依は手錠を嵌められた手を、胸元で小さく振った。向かい合うように依も椅子に座ると、警察官の手によって手錠が外される。手錠を外した警察官に、幼い笑みを見せて「ありがと!」と、依は薄っぺらな感謝の言葉を口にした。
「面会は十五分間のみです」
五十嵐の後ろに立っていた警察官が冷淡に告げる。
「分かりました」
「あの人こわーい」
ヘラヘラと、目の前の童顔が笑う。
「でさ、五十嵐。なんで会いに来てくれたの? 仕事は? あれ、今日って休日だっけ」
面会用のテーブルに両肘をつき、前傾姿勢で、まるで雑談でもしているかのような声色で話しかけてくる。
依はいつもそうだった。どんな時でもその声で喋って、ヘラヘラ笑って、現実逃避をする。
「今日は心配しに来たわけでも、説教しに来たわけでも、雑談しに来たわけでもない。だから依、今回はその口閉じててくれ」
いつもと違う五十嵐の雰囲気に気づいたのか、依の表情から笑みが消えた。何を考えているか分からない、無表情に戻る。
「……分かった」
素直にうなずいた。
五十嵐は深呼吸をし、伝えたいことを頭で整理してから、話し始めた。
「知ってるか? お前がよくコンビニで立ち読みしてた漫画、来週で完結するって」
真面目な話をされると思っていた依は、真剣な顔で漫画の話を始めた五十嵐に拍子抜けした。
「あれ、中古なら全巻セット安いし、誕生日も近かっただろ、依。だから買ってやろうと思ってたんだよ。あと、職場の上司が旅行に行って、お土産にお菓子買ってきたんだけど、数個余ってさ。俺、多くもらったんだよ。意外と賞味期限長いし、お前が好きそうだからあげようと思って、今も冷蔵庫に入ってる」
一体何の話をしているのかと問い質したいが、喋るなと言われているため、依は口をキュッと結んだまま座っているしかなかった。
「それで気づいたんだけど、俺、普段結構お前のこと考えてるんだなって思ってさ。お前はパチンコと明日の金のことしか考えてないんだろうけど」
一旦言葉が切れ、話が終わったかと思われたが、五十嵐は再び口を開いた。
「……お前って普段どうでもいいですって顔して、何考えてんのかと思ったらくだらないことばかりで、でも金を触ってる時だけは、真面目に未来のこと考えてたりするよな。その割にパチンコをやめる気はない。本当に馬鹿」
「残り十分です」
「あと自尊心低いし、自分のことに必死すぎて周りが見えてない。だから友達がいない」
突然始まった止まらない悪口に、依の顔が悲しそうに歪む。
「でもさ」
膝の上に置かれていた手が上がると、五十嵐の頭を支えるように額へと添えられ、その手は次に目元を覆った。
「分かってないんだろうけど、お前ちゃんと、俺に大切にされてるんだよ」
「えっ」
依は思わず言葉が漏れる。
「静間依の名前をニュースで見る度、動悸がする。冷や汗が出る。ついに人を殺したか? それとも人の家を焼いたか? って。そんなことしたら死刑だ。死刑じゃなくても、数年は会えなくなる。俺はそれが辛い」
五十嵐の頭がだんだんと下がっていく。依に顔を見せないように。依の顔を見ないように。
「俺は依にとって、今まで関わってきた大勢のうちの一人かもしれないけど、俺からしたら、昔からずーっと一緒にいる親友なんだよ……」
喋るのが苦しくなっていく。
「だから……もう、これ以上罪を重ねないでくれ」
話が終わり、五十嵐は胸の奥に溜まった苦しい空気を深く吐き出した。
依は何か言おうとしたが、言葉になる前に五十嵐に遮られた。
「いつでも帰ってこいよ。俺は先に帰る」
透明なパーテーションの向こう側、五十嵐の背中が扉の奥へと消えていく。監視のために立っていた警察官も出ていき、依には再び手錠が嵌められた。
「おい、行くぞ」
なかなか立ち上がろうとしない依を、警察官が引きずるように連れて行く。依の視線は最後まで、五十嵐が去っていった扉を見つめていた。
・・・
・・・
・・・
2059/03/14
五十嵐は、ひとつの覚悟を決めつつあった。 あの日吐き出した言葉すらあいつに届かず、もし依がこのまま死刑になるかもしれない犯罪者の道を選ぶのなら、もう何も言わず、ただ受け入れて諦めよう、と。それが、これ以上ひとりで傷つかないための、自分なりの境界線だった。
休日。静まり返った部屋で、五十嵐が意味もなく天井を見上げていた時のこと。
ピンポーン。
部屋に電子音が響く。何かを届けてもらう予定なんてない。置き配の誤配送か何かだろうかと思いながら、重い腰を上げて玄関へ向かい、ドアを開けた。
扉の向こうにいたのは、両手の指で底抜けに明るくダブルピースを突き出している依だった。
「無罪ゲットー」
「……は?」
開いた口が塞がらない五十嵐を前に、依はへらへらと得意げな笑みを浮かべている。
話を聞けば、あの後取調べで散々嘘をつき倒し、巧妙に罪を回避して無罪を勝ち取ってきたのだという。それもすべて、またこうして五十嵐に会える環境を選ぶためだけに。
面会室で諦めかけていた覚悟も、苦しかった感情も、目の前のあまりに軽薄で必死な笑顔のせいで一気に拍子抜けしてしまった。
「あー、腹減った! 俺今マジで一文無しだからさ、飯奢ってよ、五十嵐」
図々しく当然のように言い放つ幼馴染の姿に、五十嵐は肩の力を抜き、思わず呆れたようにフッと吹き出した。
「……入れよ。適当にあるもん作るから」
「やったー!」
靴を脱いで上がってくる依の背中を見送りながら、五十嵐は静かに、依がもう犯罪者の道を選べないように、ドアを閉めた。