ANGEL
2053/04/26
ネオンシティの繁華街にある居酒屋「ガントレット」は、今日も狭い店内に常連客がまばらに座っていた。従業員は店長のヘラジカ一人。カウンター席に座る竜人の常連客は、いつもの牛すじ大根を突きながら「アルバイトとか雇ったりしないの店長?」と何百回目の話題を振る。
「またその話か。何度も言うがこの店は俺一人で十分回せる」
「そうだけどさ〜、寂しくなあい?」
「あんたが毎度その席に座って話しかけてくるから、むしろ鬱陶しいよ」
温かい光とダークブラウンな木製の壁に包まれた店内は今日も平和だった。そこへ入り口の引き戸がガラガラと音をたて新たな客がやって来た。入って来たのはやはり常連のよく知った客。
「店長。今すぐに可燃性の高い飯が欲しんだけど」
「突然なんだよ鼡」
鼡は少し焦っているらしく、その証拠に首に取り付けられた発声器からジジジとノイズ音が漏れている。
「さっき燃え尽きたプラズマの身体拾って来たんだ。金はあるから急ぎで作って欲しい」
「お前はたまに妙なもん拾ってくるよな。五分で用意してやっから、そこの竜の相手しといてくれ」
そう指示された鼡は少し落ち着き、竜からひと席空けてカウンター席に腰掛けた。
「え、隣おいでよ鼡君」
ガントレットの二階にある便利屋が、鼡の仕事場でありながら自宅でもあった。ヘラジカの店長から貰った安い酒と即興で作ったであろう木屑の料理を風呂場に横たわるプラズマの心臓部に入れ着火する。風呂場は一瞬で気温が上がり、長袖を着ている鼡の首は汗をかき始めた。炎の熱はプラズマの全体にゆっくりと行き渡り、やがて頭部の炎が大きくなった。
「おい、生きてるか?」
「ん〜...?」
意識が戻ったプラズマはゆっくりと体を起こし状況を確認する。目の前の頬に目立つ傷がある人間に助けられたこと。そして、自分が上裸であることに気づく。
「うぇ!? 俺の服どこっ!」
「金属体のくせに恥ずかしがってんじゃねぇよ。服は洗濯中だ」
洗濯機の中をぐるぐると回る防火性のパーカーは、生地が特殊なためなかなか洗濯が終わらない。服を貸そうにも相手は炎人間だ。着た瞬間に引火し、それは一瞬でゴミになるだろう。おまけに鼡の持っている服の多くはニット素材だった。
鼡はリビングに置いてある炬燵に入り暖をとる。対面にはぎこちなく正座をしているプラズマが気まずそうに鼡を見ていた。
「...お前名前は」
先に沈黙を破ったのは鼡だった。話題を振ってくれた事にプラズマは嬉しそうに質問に答える。
「俺喇叭! あんたは?」
「鼡だ」
「ネズミ? めっちゃかわいい名前してんね」
鼡は喇叭を鋭く睨む。ただでさえ目つきが悪いので余計に恐ろしい。
「そんな顔で睨まんとってくださいよ。えーっと、鼡さんって何の仕事してるんです?」
「便利屋。ここが職場兼自宅ってとこだ。お前の仕事は? 路地で燃え尽きてぶっ倒れてたんだから碌な仕事じゃなさそうだが...」
「はは、俺の仕事は秘密です。強いて言えば...しくったらそこそこ人が死にます」
「大抵の仕事はそうだろ」
鼡は炬燵の暖かさによって眠気に襲われる。今すぐに寝たい気持ちがあるが、目の前の妙に楽しそうなプラズマの服が洗濯し終わるまでは眠れない。
「...もう夜遅いですし、服は洗濯終わらなさそうだから、俺ここ泊まっていいですか?」
想定外の提案に一瞬眠気が飛ぶ。こいつは何を言っているんだ。
鼡は眉間に皺を寄せて迷惑だと顔で伝えた。
「俺床で雑魚寝するんで、ダメですか...?」
「床が燃えたらどうすんだ、賃貸だぞ」
「んー...じゃあ浴室で寝ますっ」
「......それならまぁ、いいか。妙な事したら火消してやるからな」
近頃ネオンシティでは「天使」が急激に増えていた。天使とは、生命の矛盾の集積体であるヤミが自動修復プログラムによって世界を修正しようとした際に、ノイズが混ざる事によって生まれる失敗作のことだ。天使がこの世に存在してしまうと、ゆっくりと確実に世界を崩壊へ導く。そのため世界が秩序を保っていられるように「惡魔」と呼ばれる部隊が天使を殺していた。
しかし天使は増えているのに対し、惡魔はどんどん命を落として数が減っていった。この現象の犯人は天使を信仰するカルト教団の仕業か、国への反逆信を持つ者の仕業だと噂されている。
・・・
・・・
・・・
2053/04/27
午前九時。一年のうち七百二十日が夜のここネオンシティでは、陽の光が当たらないため気温は常に一桁。だが、今日は後ろに喇叭が付いて来ているのでほんの少し暖かい気もする。
「あんまり触れたらいかんかなって思って昨日は我慢してたんですけど、質問していーですか?」
「何だよ、勝手に仕事に付いてくるわ質問をしてくるわ...なんか探ってんのかお前」
「違う違う! 俺が今ここにいるのは便利屋の仕事がどんなもんか気になるだけ! 質問はただ単に気になるから!」
鼡は先日クライアントに依頼された仕事をこなすため目的地に向かう。喇叭は目的もどこに向かっているのかも分からずに鼡の後を追っていた。
「まず質問ひとつめ。口が裂けて声が出ないから発声器を付けてるの?」
鼡は発声器から声を出しているため、口を開かずとも会話が可能だ。だがマフラーをしているため若干音が曇っている。
「別に口を裂かれたから声が出ないわけじゃない。口元のでかい裂傷は気にするな。あと左腕の義手も...」
「ふーん。じゃあふたつめ。今どこに向かってんの?」
「ここだ」
鼡は立ち止まり、ずっと昔に廃墟となった水族館を指差す。壁には数え切れないほどの亀裂が入っており、中は当然真っ暗だ。
お化けが出そうだなとくだらないことを考えている喇叭をよそに、鼡は躊躇せず中へ入って行く。喇叭は少し遅れて鼡の後を追った。
昔は魚がゆらゆらと泳いでいたであろう空の水槽が並んだ廊下を進む。外のネオンライトの光さえ入ってこないこの空間では、喇叭の頭部の炎だけが唯一の光源だった。
歩くたびに床に散らかったガラス片が割れる音がする。それとぎこちない機械の音。
「ねぇ鼡さん。ここ絶対不良かなんかいるよ!それに、これだけ暗かったらヤミへの入り口があるかもしれないし危ないって!」
「そうか、好都合だな」
喇叭は歩みを止めない鼡に何が好都合なのかと首を傾げる。
「こんな危ないところに何を求めて来たのさ」
「鮫の剥製」
「剥製!?」
有機物がほとんど残っておらず、鮫の生息する海から離れているこの街で、鮫の剥製がこんなボロボロの廃墟に存在するわけがないと喇叭は否定する。もし本当にあるのならば、それはきっととんでもない額で売れるだろう。
喇叭がいくらで売れるのか計算していると、鼡が突然歩みを止めた。
「お前がでかい声出したせいで面倒臭い奴に見つかったじゃねぇか」
「やっぱ不良いたの!?」
暗闇から重たそうな金属の塊が動く音が近づく。現れたのは身長百八十センチ越えの目が光ったサイボーグの男だった。
喇叭は思わず「デカっ」と声を漏らす。
「ははっ! 迷子かい坊や?」
「機械の目して俺が坊やに見えるのかよB級品」
怖がりもせずに煽る鼡に喇叭は内心血の気が引く。煽りに乗ったサイボーグは、頭と同じサイズの鉄の拳を振り上げた。鼡は喇叭を遠くへ蹴飛ばし、最低限の動きで拳を避ける。何が起きたのか分からない喇叭は蹴られた胴体をさすっていた。
この世においてサイボーグとは体の五十パーセント以上が機械の人間のことを指す。サイボーグになりたての人間は、以前との体の重さの違いにうまく適応できておらず全体的に動きが鈍い。鼡が相手しているサイボーグも、おそらく自分の体にまだ慣れていない。おまけにサイボーグである自分は強いという自信だけで戦闘しているように見える。
「坊やはお前の方だな」
「くそっ! さっきからネズミみたいに避けやがって!」
怒りに感情を任せて振りかぶる拳は一向に鼡に当たらない。そろそろ鬱陶しくなった鼡はサイボーグの生身である鳩尾へ強烈な蹴りを入れた。サイボーグはゴフッと腹の空気を全て吐き出し、よろけて尻餅をつく。油断したところを狙い、今度は首の側面に頭が吹っ飛びそうになるほどの蹴りを入れた。まともに喰らったサイボーグは勢いそのまま地面へと倒れ動かなくなった。
鼡は呆然としている喇叭の方へ振り向く。
「立て。行くぞ」
「ね、鼡さんバカ強っ! 股裂けそうな蹴りかっちょいい!」
呆れた鼡はため息を吐き、喇叭を置いて奥へ進んだ。
「ちょっと、置いてかんとってくださいよ〜」
廊下を抜けて広い空間に出る。喇叭の炎だけでは十分に照らせず、鼡はダメもとで照明の電源スイッチを押した。何度か押してみるが、案の定カチッカチッと鳴るだけで電源は付かない。
「喇叭。お前火力上げたりできないのか」
「ガソリンとかあったらできるかもだけど、今は酸素缶すらないよぉ」
鼡はこの空間に鮫の剥製があると予想している。この水族館が放置されてからだいぶ経っているとはいえ、サイズが大きく変わっていることはないだろう。有機物がまだ残っていた時代でも鮫の剥製を置いている水族館は珍しい。鼡の偏見ではあるが、見せたい展示物はその空間の中心に置かれていると思っている。
「ちょっとこっち来い」
「えっ、なになに?」
背中の布を掴み自分の前を歩かせ、まるで松明のように喇叭を使う。剥製が展示されていそうな辺りを歩き回り、ついに2人は鮫の剥製を見つけた。
「うわっ何これ、ボロボロだ」
目の前にはヒビだらけのガラスケースにミイラ化した鮫が展示されていた。鼡は喇叭を放し、義手の左腕で拳を握ったかと思えばガラスケースを思い切り殴った。喇叭は鼡の突然の奇行にびくりと肩を振るわせる。
「何してんの鼡さん!?」
「クライアントからの依頼内容はこの剥製を持ち帰ることだ。まぁ多分金にするんだろうな...これ壊さず持ち帰れるか?」
壊した展示ケースから慎重に剥製を取り出し来た道を戻る。鮫の剥製を小脇に抱えて歩く鼡の後ろ姿は中々奇妙な光景だと喇叭は思った。
戻る道中、二人は未だ気絶状態のサイボーグに再開した。鼡は自分が気絶させた相手を忘れていたのか、思い出したように「あっ」と声を漏らす。
「喇叭、これ持っとけ」
鼡は鮫の剥製を喇叭に押し付けサイボーグに近づく。辺りをキョロキョロと見渡したあと、何かを見つけたのかサイボーグの足を掴み暗闇へと引っ張り出した。
「鼡さん、そっちは...」
鼡はヤミの入り口前で立ち止まり、サイボーグをヤミの奈落へ捨てた。
「鼡さん何してんですか!?」
「捨てただけだろ」
「あのサイボーグまだ生きてましたよね? 死んでるならまだしも、生者をヤミに捨てたらノイズが発生することくらい知ってるでしょ...」
ヤミは世界の裏側的存在であり、一度入れば二度と帰って来ることはできない。生者がヤミに入ると、その者に関する記憶がこの世から消えてしまいノイズが発生する。このノイズが自動修復プログラムに混ざることによって、近頃問題になっているエラー、「天使」が生まれる。
「俺のやり方に文句があるならその剥製渡して消えろ」
「いや別文句とかないけど...あんまヤミには近づかない方がいいし、捨てない方がいいですよ」
「なんで歳下に説教されなきゃいけねぇんだよ」
鼡は喇叭から鮫の剥製を取り返し水族館を出て行った。
午後十一時。鮫の剥製をクライアントに渡し、それから別の依頼も片付けた鼡はガントレットに夕飯を食べに来た。引き戸を開け中に入ると、カウンター席に喇叭が座っており店長と楽しそうに話しているのが見えた。
「おっ、噂をすればなんとやらだな」
「やっほー鼡さん。朝ぶりだね」
鼡は喇叭からふた席空けてカウンター席に座る。空気を読まない喇叭は「なんで隣来てくれんの〜?」と鼡の横に席を移動した。
「...店長冷奴ひとつ」
店内には相変わらず常連客しかおらず、一見客は喇叭くらいだった。
「鼡さん冷奴好きなんです?」
「なんでお前、ここにいる」
「え〜? 鼡さんに会いたかったからに決まってるでしょ」
喇叭の声のトーンに鼡は不穏を感じる。また面倒臭い説教が始まりそうだ。
「水族館の件なんですけど、やっぱああいうのやめた方がいいですよ」
ほら始まった...。
「だから、俺のやり方に文句があるなら…」
「これは文句じゃなくてお願い。いや、注意喚起です。ヤミに生者を捨てたらノイズが発生する。ノイズが増えると天使も発生しやすくなる。鼡さんの行為は、下手したら天使幇助の罪で刑務所行きですよ?」
「俺を犯罪者にするな」
「しているのは俺じゃなくて鼡さんです。とにかくやめた方がいいですよ。それに、惡魔やってるこっちも迷惑なんですよ」
鼡は警戒心を隠す気もなく喇叭を睨んだ。
「はい冷奴。てかあんた惡魔なのか? 凄いな...」
店長がギスギスし始めた二人の会話に割り込む。鼡は出された冷奴を食べ始め、喇叭の相手を店長に任せた。
「凄いでしょー? もう最近めっちゃ大変なんですよねー。だから鼡さん、アレやめてくださいね」
鼡は喇叭を無視して冷奴を食べ進める。
「何があったか俺は知らんが、喧嘩するなら店の外でやってくれよ?」
ガントレットを出た喇叭は家に帰るでもなく監視カメラ映像をかき集めていた。一応上司から言質を取ったので、何かあれば責任は取ってくれるだろう。
喇叭は天使が急激に増えている原因のひとつが鼡だと推測する。だが、若者の推測ひとつで動いてくれるほど惡魔も警察も甘くない。仕方ないと思いながら、喇叭はパソコンを起動し集めた映像を早送りで見始めた。
・・・
・・・
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・・・
・・・
20██/██/██
今回の依頼はクライアントの護衛だった。一人で凶器を持った五人の男を倒し、護衛の仕事は終わった。
時刻はすでに零時をすぎている。空腹な鼡は今晩何をガントレットで食べようか考えていると、狭い路地の暗闇から白髪の幼い竜人が現れた。十歳ほどの女の子で、迷子なのかと思った鼡は声をかける。
「こんな時間に一人だと危ないぞ。親とはぐれたか?」
返事はない。彼女が来たであろう路地の向こう側を見るが、そこは真っ暗でネオンライトの光さえ無かった。
暗闇から突然現れた一人の無口の子供。
鼡は彼女が天使だと気づいた。
天使はこの世に存在してはいけない。天使を見つけた場合、直ちに天使対策局に報告するように義務付けられている。だが鼡はスマホを取り出そうともせずに天使を見つめていた。何故だか分からないが、鼡は目の前の竜人を模倣した天使に懐かしさを感じ惹かれている。
どこかに行こうともせず目の前の人間をジッと見つめている天使の手を取り、鼡はガントレットの二階にある自宅へ向かった。
ガラガラと聞き慣れた引き戸の音が店内に響く。
「おかえり鼡くん〜」
若干酔っている竜人がカウンター席から隣に座れと手招きする。いつもはひと席空けて座るが、今回は竜に聞きたいことがあるのでおとなしく隣に座った。
「ありゃ、隣に来てくれるなんて珍し」
「竜人の子供ってここのメニューの中なら何食うんだ」
「えぇ? 独身に聞かないでよ...」
竜人は唐突な質問に困った顔をしながらとりあえずメニュー表を開く。うーんと唸った後、「焼き鳥とか?」と適当な返事が返ってきた。
「てか、急に何その質問」
「さっき竜人の子供を拾って来て、それが上にいる」
「拾うって…まさか誘拐じゃないよね?」
「人聞き悪いこと言うな」
「お前子供誘拐したんか!?」
でかい声で店長が話に割り込んだ。その声は店内に響き、その場にいた客の視線が鼡に集まる。
「だから誘拐じゃないって! 迷子の子供が上にいるから、そいつが食べそうな飯を作ってくれますか店長?」
「あは! 鼡くん腹から声でてんね〜」
店長から食事を受け取り急足でガントレットを出る。家に戻ると、天使は電源のついていない二十四インチテレビの液晶画面を見つめていた。
「天使に食事が必要なのか知らんが...とりあえずこれ、空腹なら食べろ」
天使は渡されたタッパーを開け、中に入っている串の外れた焼き鳥を観察し口に放り込んだ。味を感じるのかは分からないが、数分後には焼き鳥を完食していた。
「...はは、これバレたら天使幇助で捕まるな俺」
天使に飯を与え匿っている自分が突然馬鹿馬鹿しくなる。
鼡は天使の目の前にしゃがみ込み目線を合わせた。
「なぁ天使、死にたくないか?」
返事はない。当たり前だ、天使は見た目を模倣しているだけの化け物なのだから。
「俺と契約しよう。俺はお前を惡魔から守る。だからお前は俺の言うことを聞け」
小指を立てて天使の目の前に出す。
「指切りげんまん。分かるか? 同じように小指出してみろ」
例えそれが子供であろうと人間であろうと、契約なんて言葉は気軽に使ってはいけない。互いに特別な能力が無くとも、その言霊は大きな力を持って返ってくる。それを承知の上で鼡は、子供と約束をする感覚で天使と小指を交わした。
・・・
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・・・
20██/██/██
鼡と天使は二人の惡魔によって壁際に追い詰められていた。
「その少女を私たちに渡してください。それは天使ですよ、認めたくないのかもしれませんが...」
どうやら惡魔は、鼡が天使を一人の竜人として扱っていると勘違いしているらしく、天使を承知の上で守っていることには気がついていない。
片方は人間、片方は獣人。二人程度なら余裕で勝てるが、相手が惡魔なので手を出せば公務執行妨害で捕まる。鼡はどうこの状況を切り抜けようか考えていると、痺れを切らした惡魔の一人が刀を天使に向けて振り下ろした。
咄嗟に義手の左腕で天使を庇い、相手を遠くへ蹴飛ばす。この時点で公務執行妨害が確定したので、鼡はさっきまでの考えを捨て、いつものやり方で戦うことを決めた。
吹っ飛ばした人間は背中を強く地面に打ちつけたのかすぐには起き上がらなかった。
「おいっ大丈夫か!」
獣人の惡魔は仲間を心配し背中を向ける。敵相手に何をやっているんだと思いながら、鼡はそいつの顎を下から殴った。
「馬鹿っ...! よそ見してんじゃねぇよ!」
獣人は人間に比べたら頑丈だ。なかなか良いパンチが入ったと思ったがよろけるだけで倒れはしなかった。続けて鼡は顔面に蹴りを、腹に拳を入れる。
鳩尾を殴られた獣人は膝から崩れ落ちた。気絶させるため無防備な後頭部を蹴ろうとしたその瞬間、吹っ飛ばした人間が再び刀を振り上げ、微動だにしない天使に向かって鼡の横を走って行った。
「やばっ...逃げろくそガキ!」
叫んだ瞬間、頬に強烈な痛みを感じ血が吹き出した。どうやら獣人に口元をざっくりと斬られたらしい。ダラダラと流れる血に気を取られた鼡は、次の攻撃を避けることができず背中を強く殴られた。
痛みと衝撃でぶっ倒れそうになるが、続けて攻撃を喰らうまいとなんとか耐える。天使はどうなった。
顔を上げるが視界に入っているのは惡魔の男二人だけだった。
「お前何やってんだ...やり過ぎだろ!」
「うるせぇ。手加減してたらこっちが死ぬ。それより天使はちゃんと殺したんだろうな?」
「そいつが余計なこと言ったせいで逃げられたよ」
二人の視線が鼡に集まる。鼡は未だ止まらない血を止血しながら、いつ攻撃が来ても良いように構えていた。
「...今回は見逃しましょう。こちらもやり過ぎた。私たちはここで撤退しますので、もし天使を見つけたらご報告ください。必ず」
惡魔はそう言い残し去って行った。
・・・
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・・・
2053/05/01
喇叭は鼡の自宅でもある便利屋にクライアントとして来ていた。対面に座る鼡は明らか嫌そうな顔をしてこちらを睨んでいる。
「何企んでんだ」
「だから企みとかないって...俺は今日依頼しに来たんですよ? もちろん金も払いますし」
「当たり前だ。何を依頼する気なんだお前」
喇叭はズボンのポケットから折り畳み財布を取り出し、グローブをつけた手で中から紙幣を出す。
「どんな依頼でも五万苑だっけ? ...はい、これ依頼料〜」
「だから依頼内容...」
机に上半身を乗り出して喇叭は言った。
「今から一緒に天使見に行こっか」
・・・
・・・
・・・
鼡は大人しく喇叭の後ろを付いて行く。
「また水族館の話するんだけどさ〜、鼡さんはずーっと前からヤミに生者を捨ててたんですか?」
「...そうだな」
流石に聞き飽きた説教がまた始まるらしく、鼡は機嫌が悪くなる。
「俺最近、ここら一帯の監視カメラかき集めて鼡さんが映ってないか探してたんだけど、結構行動範囲広いんですね。いろんな場所で鼡さんがヤミに ” 何か ” を捨ててる映像が残ってたよ」
「そうか」
「驚いたんだけど、今時の監視カメラって結構昔のデータも残ってるんだね」
「らしいな」
「あんたが竜人の天使を逃した映像も残ってた」
二人は歩みを止める。喇叭は鼡に振り返り反応を確認しているようだった。
「...俺の仮説なんだけど、聞いてくれます?」
鼡は何も答えない。
「まず、天使が急激に増えている現象の原因はあんただ。動機は竜人の天使を守りたいから。癖かもしれないけど、あんたは誰かと戦闘する時必ずと言っていいほど頭や首を狙うよな? だって頭部に強い衝撃が加わった時、脳震盪が起きると気絶するから。まぁ必ずじゃないけど…。相手が気絶すれば、あとはヤミに生者を捨てるだけでノイズが発生する。これを繰り返していけば、ヤミにはどんどんノイズが蓄積していって、ある時自動修復プログラムにノイズが混ざる。そして生まれるのが天使だ」
「それで? どうやって天使を守るってんだ」
「ノイズがどんどん蓄積されれば天使は更に数を増やしていく。天使ってのは大抵何かを模倣した状態で生まれてくるから、大勢の一般人がいる中から天使を探して被害が出る前に殺すってのは結構大変なんだ。それに、俺たち惡魔は警察ほど数が多くない。放置された天使は力を持ち、惡魔なんて簡単に殺せるようになる。するとどうなると思う?」
「さぁな」
「惡魔の数が減って、あんたの守りたい天使が殺される確率が下がるんだ」
「...なるほどな。で、お前は俺をどうする?」
「そりゃあ逮捕でしょ」
鼡は思わず吹き出す。何が可笑しいのか分からない喇叭には煽られたように感じた。
「馬鹿なクソガキに質問しよう。生者がヤミに入った時、その者に関する記憶はどうなる?」
「この世から消える...え、違う?」
「じゃあ俺が水族館でヤミに捨てたのは何だった?」
「そりゃ...えっと...」
喇叭は答えようとするが言葉が出てこない。当たり前だ、その者に関する記憶がこの世から消えているのだから。
「だよな? 何も言えない。じゃあ質問ふたつめだ。監視カメラに映っていた俺は何を捨てていた?」
「...」
再び喇叭は答えられない。
「何も映って無かった...よな? ヤミに入るとその者に関する記憶、そして記録もこの世から消えるんだ。つまり、俺が何かを捨てた証拠はどこにも残っていない。ついでに、惡魔は警察じゃないから俺を逮捕することは無理だ」
沈黙が流れる。鼡は面倒臭そうに頭を掻いていた。
喇叭が口を開く。
「...教えろ」
「なにを」
「竜人の天使の居場所をだよっ...! あれはまだ生きてる。生まれたのがもうずっと前だから、今頃とんでもないでかさになってるかもしれん。だから教えろ、じゃなきゃ全員死ぬ」
「依頼内容って確か " 天使を一緒に見に行く " だったよな? なのにお前、場所分かんねぇのかよ」
喇叭の必死さをわざと無視する。
鼡はそろそろ帰ろうかと考えていると、喇叭の後方にあるビルから爆発音のような轟音が聞こえた。見るとそこには上部が崩壊した一棟のビルと、怪獣映画に出てきそうな化け物に変異した天使がいた。
竜人の天使だった。
「...どうやらあっちから会いに来てくれたみたいだ」
「やば...やばい何あのデカさ」
呆然と光景を眺めていると、不意に鼡は天使と目が合った。瞬間、天使はものすごい勢いでこちらにやって来て、大きな両手で鼡を掴んだ。
「鼡さんっ!」
遠くに吹っ飛ばされた喇叭は鼡を心配し叫ぶ。鼡は天使に殺されると覚悟したが、自分の体を掴む両手は力加減がされており痛みはない。
「...久しぶり、生きててよかった」
相変わらず返事は返ってこない。天使は鼡を掴んで離さず、ジッと見つめて静止していた。
「...なぁ天使、ここにいたら惡魔がやって来てお前を殺そうとする。だから逃げろ、どこか遠くへ」
反応を伺うが言葉を理解しているようには見えない。どうか伝わってくれと鼡が願っていると、突然天使が暴れ出し、鼡は天使の手から落下した。再び死を覚悟したが、すんでのところで鼡は喇叭にキャッチされた。
「鼡さんだいじょぶ?」
「あぁ、おかげで」
喇叭の頭部の炎が普段よりも大きく燃えている。おそらく燃料を追加したのだろう。暖かい。
「足元燃やしたけど、元が竜だから燃え広がらないしそこまでダメージ無いかなぁ...」
天使が突然暴れた原因は喇叭だったようだ。いつの間にか天使は複数人の惡魔に囲まれており、リーダー格であろうサイボーグが指示を出した瞬間一斉に天使に襲いかかる。
「鼡さんはどっか安全な場所に避難してください」
喇叭も遅れて天使の方へ走り出す。
やめろ。
殺すな、燃やすな。
それはまだ子供なのに。
鼡は喇叭の背中に突進して体制を崩す。
「は!? 鼡さん何してんの!」
プラズマの弱点は核となる胸部だ。鼡は火傷など気にせず、右手でうつ伏せ状態の喇叭の首を掴み地面に押し付ける。そして左手で背中を思い切り殴った。
金属音が響く。殴った振動が肩まで伝わる。続けてもう一発殴ると、頑丈なプラズマの背中に穴が空いた。手を突っ込み核を破壊すれば喇叭は死ぬが、目的は殺害ではなく戦闘不能にすること。
鼡は限界を迎えていた右手を離し、天使の元へ駆け出した。
惡魔の数は十五程度。刀を用いて天使を切り付けようとしているのが十一。ビルの屋上でロケットランチャーを構えているのが三。指揮官が一。厄介なのはロケットランチャーを構えている惡魔だが、一般市民が避難しきれていない状況で発射することは無いため一旦後回しにする。
鼡の標的は自分と同じ高さにいる惡魔に定まった。まずは一番近くにいた狼に蹴りを入れ首の骨を折る。鼡に振り返った二名の惡魔は天使の動きを見逃し蹴飛ばされた。
「何が起きてる?」
「マフラーをした男にプラズマと狼がやられました!」
「誰かそいつを捕えろっ!」
焦りに満ちた男の怒号が屋上から聞こえる。ロケットランチャーを持った惡魔の意識が鼡に移った一瞬、同じく怒号を聞いていた天使が大きな手で屋上ごと彼らを吹っ飛ばした。
その場にいる惡魔の数はどんどん減っていく。
「天使っ......!」
呼吸が乱れノイズが混ざりまくった鼡の声が響く。
言葉を続けようとしたが突然後頭部に衝撃が走った。生ぬるい液体が首を伝って服に滲む。振り返ると、ふらふらとしながらなんとか炎を保っている喇叭が立っていた。鼡の足元には後頭部に当ったであろう血が付いたコンクリートの塊が落ちている。
「...鼡さん、あんな化け物を守って......あ、あんたは何をしたいんですか?」
「さぁ...俺は何がしたいんだろうな?」
「まさか天使に恋心を、抱いているなんて言いませんよね?」
「もしかしたらそうなのかもな」
「...」
明確な答えが返ってこないことに喇叭はイラつき始めていた。
「なぁ喇叭、動けるか?」
「あんたに穴あけられたせいで、立つのがやっとだよっ…!」
「はは、そうか。......お前にいいことを教えてやろう。天使ってのは見たものを模倣して、それを繰り返して膨張するんだ。結果があの変異した状態」
鼡は天使を見上げて言葉を続けた。
「膨張した天使は、不思議なことに燃やすと元の形に戻っていくらしい。お前が燃やした方の足を見てみろ、無くなってるだろ?」
確かに喇叭が燃やした天使の片足は無くなっていた。
「もしまだ動けるなら、あいつを全部燃やしてやってくれ。大丈夫、死にはしない。また二人でガントレットの飯を食える」
後半の言葉は喇叭にでは無く天使に向けて言っているように見えた。
「...俺が燃やすだけ燃やして、あの天使を生かしておくと思ってんの?」
鼡は答えない。
喇叭は天使を燃やすため、鼡の横を通り過ぎて行った。
ズボンのサイドポケットに手を突っ込み、中に入っていた金属をすべて頭の炎に放り込む。再び喇叭の頭部が大きく燃え始めた。
「足りるかなぁ...」
覚悟を決める。喇叭は天使に近づき、まずは残っている足を燃やした。
暴れる天使を避けながら、体制を崩した天使の胴を燃やす。腕も燃やしたかったが、吹っ飛ばされると核が破壊される危険があるためやめた。
天使は先ほどよりも確実に小さくなっている。だが暴走は止まらない。
あっという間に喇叭の燃料は尽きかけていた。
「撃てぇ!」
遠くから指揮官の濁声が聞こえた。その声と共に生き残っていたロケットランチャーが発射され、天使の目に被弾する。
爆発の炎によって天使はさらに縮み、やがてそれは一人の竜人の子供に戻った。
目の前にペタンと座っている竜人の子供の形をした天使は無垢な瞳で喇叭を見上げる。それが自分を殺そうとしていることも疑わずに。
喇叭は今すぐ天使を殺したいが武器を持っておらず、燃料も体を保つのがやっとの状態だった。
「なぁ鼡さん! こうなった責任は全部あんたにあるんだ、責任取ってくれよ」
喇叭は炎の手で天使の腕を強引に掴み鼡に振り返る。
「この化け物、あんたが殺せ」
掴まれた天使の腕は炎に焼かれる。剥がそうにも子供の力では大人に敵わない。痛みに顔を歪める天使に容赦ない喇叭の姿は、鼡には悪魔に見えた。
「ど畜生だなお前」
「どの口が言ってんの? それより、はよ殺してあげないと可哀想だよ」
鼡はほとんどの生物の効率的な殺し方を熟知していた。喇叭に殺しを任せれば、天使はあのまま焼かれて最後まで苦しんで死ぬことになるだろう。それなら自分の手で天使を苦しませずに殺す方がずっとマシだ。
「...分かった、俺が殺す。だからその手離せ」
喇叭は大人しく天使から手を離したが鼡への警戒心は解かない。
解放された天使は親に縋る子供のように駆け寄り、爛れた腕で鼡の足に抱きついた。
天使は人型に模倣する場合が殆どであり、その場合核となる部位が首にあることが多い。そのため惡魔の多くは「首を斬れば天使は死ぬ」と勘違いしているが、首を斬っても核を斬れていないのなら天使は死なない。
鼡はしゃがんで天使を抱き返した。先ほどまでの大きな化け物とは思えない、小さく弱そうな体だった。
天使の首の後ろを左手で触れる。位置を把握し、鼡は機械の指を首に突っ込んで核を引き剥がした。
核を失った天使の体が灰となり崩れていく。
やがて天使は風に飛ばされ跡形もなく消え去った。
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2053/09/25
警察関係から解放された鼡はガントレットに向かっていた。今後の面倒臭いことは一旦忘れ、今はとにかくガントレットで食事をしたかった。
背後から知った声が聞こえ、振り向くとやはり喇叭がいた。
「執行猶予おめでとうございます」
「何もおめでたくない」
「正直俺は絶対刑務所入ると思ってたんだけど、運いいよね鼡さんって」
喇叭は鼡に並行して歩く。
「鼡さん今ガントレット向かってます? 俺も付いて行っていいですか?」
しばらく考え、鼡は喇叭の提案にイタズラっぽく笑った。
喇叭は嬉しそうに炎を揺らす。
「あはっ。いいよ、俺結構給料良いし」