2056/12/04
ネオンシティは無機物だらけだ。地面はコンクリートか鉄製で雑草の根は一本も無く、車の下を覗き込んでも野良猫はいない。肉はどこから入手したのか分からない豆でできた代替肉で、大抵缶に詰められてスーパーに並んでいる。おまけに人間も体の一部を機械にすることに違和感を抱かなくなった。
そんな街にも浮浪動物は存在していた。ひとつは鼠。鼠はとにかくなんでも食う。俺が見た鼠の一番酷い飯は酔っ払いのゲロだった。もうひとつが鴉。鴉も同じくなんなでも食う。だが鼠ほど馬鹿じゃあない。どれがご馳走でどれが毒かを理解して飯を見つける。
そして、こいつらの習性はネオンシティの住民に当てはめることができた。がむしゃらに生きるどうしようもない馬鹿な鼠と、物を見て賢く生きる知性的な鴉。俺の目の前に倒れ込んでいるボロボロの少年は、間違いなく前者の馬鹿な鼠だった。
「たっ、助けてください...なんでも、なんでもします」
黒と白の毛並みをした猫の獣人は、惨めに黒錆の足に縋って助けを乞う。助けるか見捨てるか迷っていると、おそらく少年を追っていたであろう集団が血眼になって対象を捜していた。その集団が着ている白い和服には翼の絵が印刷されている。天使信仰をしているカルト教団のエンブレムだった。
「あっ、あっ、ごめ...ごめんなさいごめんなさい」
黒錆はパニック状態の少年を無理矢理路地裏に引き摺って教団から身を隠す。やがて少年が近くにいないと判断した教団は歓楽街の方角へ去って行った。
「...よぉし。あいつらはどっか行ったぞ、いい加減落ち着け」
少年は蹲り浅い呼吸をしていた。
「はっ......ふ...あ゛ぁ、ありがとう、ございます」
「お前、いったい何しでかしたんだよ。あの気狂い集団のSNSに誹謗中傷でもしたんか?」
何が引き金になったのか分からないが、少年は突然涙を流し始めた。黒錆は適当な冗談が悪かったのかと思い一瞬反省する。
少年がしばらく泣き止まないので、黒錆はどうすればいいのか考えた末、ネオンシティで一番美味い(少なくとも黒錆はそう思っている)ラーメン屋に連れて行くことにした。
・・・
・・・
・・・
午後二時。遅めの昼食となるこの時間は客が少なく、待たされることなく店内に入ることができた。黒錆は常連と言えるほどこの店に来ているので、テーブルの傍に置かれたメニュー表には触れず、お冷を持ってきたアルバイトの女性店員に麺固めの醤油ラーメンを二人分注文した。
「ここは醤油ラーメンが一番美味いんだよ。あ、餃子頼んどきゃよかったな」
対面に座る少年は猫耳を垂らし暗い顔をして俯いている。
「...で、お前何があったんだ? ダンマリじゃ困る」
「......母親を、殺しました」
少年は声を振るわせながら、か細い声で語り出した。
「き、教団。俺の母親あの教団の信徒で、稼いだ金全部貢いで、生活苦しいからやめろって言うとめちゃめちゃ怒るくらいあの宗教に狂ってて...俺も限界だったんです。どうしてもあの宗教から抜けて欲しくて、教団が大事に飾ってる箱、小さい箱を壊しました」
少年は一度息を吐く。
「そしたら母親がめっちゃ怒って、俺の耳引っ張ったり顔殴ったり、挙句のはてに祭壇? に、置いてあった酒瓶で俺を殴ろうとしたんです。俺も必死で、必死で...それで、母親、殺しました」
話終わった少年は先程の出来事を整理できたらしく肩から力が抜けた。
「お待たせしましたー。醤油ラーメンふたつでーす」
奇妙な空気に若い男性店員の声が割り込む。その両手には蒸気を揺らす醤油ラーメンを持っていた。
二人の目の前に美味しそうな醤油ラーメンが置かれる。黒錆は割り箸を二本取り一本を少年に渡す。自分の割り箸を左右に割り、先ほどの重い話を無視して黒錆はラーメンを啜り始めた。
「お前もさっさと食え。ここのラーメンは伸びても美味いが伸びてない方が美味いんだよ」
麺を頬張りながらモゴモゴと話すおっさんに文句を言われた少年は割り箸を上下に割り、麺の上に置かれたメンマを一つ食べる。
「やっぱ猫って猫舌なのか?」
「...少なくとも俺は猫舌ですね」
「ふーん...さっきの話なんだけどさぁ」
少年の手が止まる。
「俺とお揃いだな」
「......は?」
わけのわからない発言に、少年は思わず敬語が抜けた。黒錆はやや前屈みになり、少年にしか聞こえないよう囁き声で言葉を続ける。
「実は俺、お前よりもずっと若い頃に父親のこと殺したんだぜ」
「え......え?」
再び黒錆はラーメンを啜り始める。
「俺竜人なんだけどさ、母親も父親も両方人間なんだよね。つまりどういうことか分かるかい猫ちゃん」
「いや、わかんないです」
「俺の母親、竜人の男と浮気したんだよ。それ知った不安定なクソッタレの父親がさらにクソになって、俺のここに生えてた角へし折っちまってさ。酷い野郎だろ?」
黒錆はそう言いながら右の額にある傷を指差す。
「ヤリマンとクソッタレの家で育ったせいでまともな脳みそ形成されなくて、ある日酒でベロンベロンに酔った父親をチャンスだ! って思って殺しちまった」
胸糞な身の上話を聞きながら食事をできるような倫理観を持っていない少年のラーメンは汁を吸って伸びていく。
「いや〜気まぐれで助けてやった子供が俺と似たような境遇だとは思わなかったよ。これはなんかの縁だな! そう、運命ってやつだ! お前名前は? 歳はいくつだ」
全然似てないというツッコミを飲み込み、少年は大人しく質問に答える。
「土居凃冲。歳は十四」
「えっ十四!? ハァ〜わっけぇな〜。俺は黒錆だ、とりあえずお前その伸びたラーメン食え」
二人は腹を満たし店を出た。
「で、お前どうすんだ。教団から逃げ続けながら生きるつもりじゃねぇだろうな?」
「俺は、捕まりたくない。警察にも教団にも...」
少年は手持ち無沙汰な猫手を握りしめている。
「あっ、あの、黒錆さん...」
「んー?」
「俺が住んでるの、ネオンシティからずっと遠い場所で、ここの土地勘無くて。なので、しばらくの間側に置いてくれませんか...!」
終始もじもじしていた凃冲からの図々しい提案に面食らう。
「マジかよ...いやまぁいいけどさぁー、しばらくの間っていつまでよ?」
「それは、えっと...じゃあ、俺が今後どうするかを決めるまでの間! ...で、どうですか?」
「それならよし。じゃあ凃冲、これからよろしくな」
黒錆は手を差し出し握手を求める。凃冲はまだ幼さを感じられる手で黒錆と握手を交わした。
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2056/12/05
黒錆は残り数本のジョーカーカオスを一本手に取り、口からフゥと吐いた火で煙草に着火する。その煙草を口に咥え、ファー付きのモッズコートのポケットからスマホを取り出し電話をかけた。
「......あっ、狭腹さん今大丈夫ですか?」
『あぁ。要件はなんだ』
相手は黒錆が所属している狭腹組の組長だ。
「教団いるでしょう? あのーなんちゃら真理会みたいな長い名前の。あいつらに盗られた天使の核、多分...壊されました」
『あ? 多分ってなんだ、ちゃんと説明しろ』
狭腹の声は明らかに不機嫌な時の声色をしていた。
「俺出来事を分かりやすくまとめるのド下手なんで、分からんとこあったら言ってください。昨日教団に追われてる十四のガキを助けて事情聞いたんです。そしたらそいつ祭壇にあった小さい箱壊したって言ってて、多分その箱の中身が天使の核なんですよね。壊したのが箱だけなら、中身はまだ無事の可能性あります」
『そのガキは今どこにいる?』
「俺ん家いますよ。匿ってる感じですね」
しばらく沈黙。黒錆はジョーカーカオスを吸いながら狭腹の次の言葉を待つ。
『...無事か分からない天使の核を取り返しに行くために割けるほど、うちは人員に余裕ないぞ』
「っすよねー......狭腹さんが許可してくれるなら俺行きますよ。一人で」
『本気で言ってるのか? 前に下の奴等を数人送り込んだら仏になって帰って来たろ』
「俺を雑魚と同じにするんですか?」
『......そんなに自信があるなら勝手に行け、俺は忙しい。死んだら殺すからな』
狭腹はそう言い残し、ブツっと電話を切った。きっと慣れていない奴なら狭腹を怒らせたのかと冷や汗を掻くような状況だが、黒錆からしたらこれは日常なので、特に気にすることも無く意識を煙草に集中させた。
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2056/12/07
夢を見た。母親を酒瓶で殴り殺す、あの時の出来事を。
凃冲は冷や汗を掻いて飛び起きる。一年の殆どが真っ暗なネオンシティでは、時計を確認しないと夜か朝かが分からない。今は何時だ。充電中のスマホを手に取り、目覚めたのが午前三時であることを確認する。乾いた喉を潤すため台所に向かうと、換気扇の下で妙に長い煙草を吸う黒錆が立っていた。
「よぉ、便所か?」
「喉が乾いただけです」
「あー今冷蔵庫に酒しかないから、水道水で我慢してくれ」
凃冲は内心呆れながらコップに水道水を注ぎ、水を喉に流し込んだ。
「あの、黒錆さん」
「んー? 水道水不味かったか?」
「いや、違くて......俺、母親殺したの後悔してます」
「なんでだ? 母親のこと嫌いだったんじゃないのか」
「嫌いでしたよ、宗教ばっかで俺のこと少しも見てくれない母親なんて...でも、昔は違ったんです。優しくてちゃんと俺のことを見てくれる母親で、その頃の幸せ思い出して、俺今後悔してます」
「なるほどな」
黒錆は一瞬珍しい物を見た気分になった。ネオンシティはネオンと無機物で溢れたスラム街のような場所だ。故に住民も腐った奴ばかりであり、凃冲のようなまともな倫理観を持った者は滅多に見かけない。
「母親を殺したのは悪いことだって分かってるんです。でも、やっとあの苦しい空間から抜け出せたのに、警察に捕まって檻に閉じ込められるなんて絶対に嫌です。だからと言って、教団に捕まって殺されるのも絶対に嫌だ」
「じゃあどうするんだ」
「...いろいろ考えたんですけど、俺が今後自由に生きられる方法は " 教団の信徒を全員殺す " しか思いつきませんでした」
前言撤回しよう。凃冲の倫理観は俺と同じで腐っていたようだ。
「でも俺一人じゃ絶対に無理です......」
凃冲の言葉がそこで途切れる。黒錆は仕方ないなという気持ちで吸っていたジョーカーカオスを灰皿に押し付け、凃冲の目を見た。
「凃冲くんよぉ、助けてほしい時はちゃあんと言葉にしないと伝んねぇぜ?」
「...教団殺すの、手伝ってくれませんか? 黒錆さん」
可愛い顔して物騒なことを言うので思わず吹き出す。不安にさせてしまった凃冲の頭を、黒錆は思い切り掻き回すように撫でた。
「笑って悪かった。手伝うよ、俺は子供を見殺しにするような大人じゃないからな。それに、あの教団には俺も縁がある」
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教団の拠点は無法者が築き上げた違法建築群に隣接する廃ビルの中にあった。壁の至る所にひび割れや錆が目立っているが簡単には壊れない頑丈さを感じる。
「あっ、凃冲これ使え」
黒錆は私物のリボルバーを投げ渡す。初めて拳銃を生で見たのだろう。凃冲は感触を確かめるようにリボルバーを触っていた。
「それ俺の自殺用リボルバーな。弾は六発、壊すなよ?」
「え?」
言いたいことが山ほどありそうな凃冲を無視して黒錆は建物の中へと入って行った。
中は外観と違って思っていたより綺麗だった。だが外とは違う奇妙さがある。奇妙さの原因は、壁に張られた翼のエンブレムだけでは無い。
「...静かですね」
この空間はあまりにも静かすぎるのだ。
明らかに緊張している凃冲は慣れない武器を大事そうに抱えて黒錆の後ろを付いて来ている。
本当にこいつは今から人を殺せるのか?
そんなことを考えて油断していた黒錆に向けて突然、暗い物陰からパンっと銃声が鳴り響いた。幸い凃冲にも黒錆にも弾は当たっていない。
「やっぱ隠れてたな」
黒錆は都合よく転がっていた鉄パイプを手に取り、敵が隠れているであろう場所に向かって走った。予想通りそこには白い和服を着た信者が拳銃を構えて隠れており、驚いた顔して固まっている頭部に向けて勢いよく鉄パイプをぶつけた。
ガンっという痛々しい音を合図に、次々と隠れていた信者が物陰から湧いて出てくる。想定していたより数が多い。黒錆はやや凹んだ鉄パイプを握り直し、自分に近い信者から殴っていった。
同じく鈍器や拳銃を持つ信者に囲まれた凃冲は、ただリボルバーを落とさないように逃げ回ることしか出来なかった。黒錆のいる方向から鉄パイプで殴られる音に時折発砲音が混ざっている。手伝って欲しいと頼んでおきながら、自分は結局持って来たナイフを敵に向けることも、貸してもらったリボルバーを構えることも出来ていない。完全に足手纏いだった。
この街では弱い奴から死んでいく。殺さないと殺される。小さい箱を壊した、母親を殺したあの日、教団に追われてそれを実感したはずだろ。
じゃあ刺せ。殺せ。
凃冲は意を決してナイフを取り出し、自分を追う拳銃を持った信者に向かって突進した。その信者は突然こちらに向かって走って来た凃冲に反応できず、腹部にナイフが刺さる。
自分の決意とは裏腹に、ナイフはサクッと簡単に人の肉体に刺さった。
──簡単。
凃冲が初めて人を刺した素直な感想だった。
冷静になった凃冲は信者の腹に刺さったナイフをぐるりと回転させ、横に裂くように引っこ抜く。信者は叫びながら腹を抱えて蹲り拳銃を落とした。他の信者を避けながら落とされた拳銃を拾い、漫画とアニメの知識だけで引き金を引いた。発砲された弾丸は一人の信者の右眼球に命中する。自分の手元から響いた爆発音に、一瞬頭がぐらっと傾く。
「大丈夫か」
ふらついた凃冲の体を、いつの間にかすぐ後ろにいた黒錆が支える。
「お前のおかげで少しは楽に片付いた。ありがとな」
どうやら凃冲が撃ち抜いた信者が最後の一人だったらしい。久しぶりに大人に褒められた凃冲は少し嬉しくなる。
「鼓膜大丈夫か?」
「大丈夫です。まだ少し耳鳴りがしますけど」
「猫は人より聴力良いらしいから大変そうだな。まぁ慣れろ。二階行くぞ」
二階に行くためにエレベーターを使おうとしたが、錆が目立つエレベーターの扉には黄ばんだ紙がセロハンテープで貼り付けられており、紙には汚い手書きの文字で故障中と書かれていた。
黒錆は舌打ちする。仕方ないので大人しく階段を使って上ることにした。
「なんだかダンジョンみたいですね」
さっきまで緊張していた凃冲が少し楽しそうに言った。
「なんだよ急に、余裕ぶってんのか?」
「違いますよ。ただなんとなくそう思っただけです」
「ふーん」
黒錆は適当に会話を終わらし、あっという間に二階に到着した。一階と違って開けた空間は無く、全体的に物が散らかっている。その中には一匹のネズミの死骸が紛れていた。
「凃冲、これ見ろ」
黒錆はネズミの死骸を足で突く。
「俺らの運命は二つだ。教団ぶっ殺して自由になるか、このネズミとお揃いになるか」
「...怖いこと言わないでくださいよ」
「でも事実だ。だから気ぃ抜くなよ」
「はい」
足手纏いにならないようにと気を引き締め、ネズミを突いた足を拭くように床に擦って歩く黒錆の後を追った。
二階にいる信者は一階にいた信者よりも数が多かった。それでも黒錆は一人で半数以上を片付けてしまう。凃冲は黒錆の後ろで慣れないリボルバーを使い援護した。
「あ゛〜手ぇ痛」
「そりゃ素手じゃ痛いでしょ。一階で使ってた鉄パイプはどうしたんですか?」
「殴りすぎてぐにゃぐにゃに折れ曲がったから二階来る前に捨てたよ。それより、リボルバーあと何発残ってる?」
凃冲は確認しようとリボルバーを見るが、どのように弾数を確認するのか分からなかった。
「貸せ」
差し出された手にリボルバーを渡す。黒錆は慣れた手つきで弾数を確認した。
「あと四。まぁ大丈夫か」
リボルバーが再び凃冲に渡される。
「三階行ったら無理矢理隣の建物と繋がれたボロい通路通る。多分そっから敵多くなるから気をつけろよ」
三階。黒錆が言っていたボロい通路は外観相応の見た目だった。錆とヒビがあちこちにあり、歩くたび今にも崩れそうな音がする。凃冲は薄氷を踏むような思いで慎重に歩いた。
通路を抜け扉を開けると早速複数の信者と出会した。目が合って数秒の静止。先に動いたのは信者の方だが、黒錆の方が攻撃が早く一分も経たずにその場の信者を倒してしまった。
その後も何度か信者に襲われながら奥へ進む。やがて二人はダンジョンで言うボスステージの祭壇に到着した。
「おー、人がいっぱい」
白くシンプルな形をした祭壇を囲むよに大勢の信者が集まっており、その中心にはひらひらとした布を纏う教祖がこちらを見ていた。
「招かれざる客よ、直ちにこの場を去りなさい」
「お久しぶりだな教祖様。いい加減うちから盗んだ天使の核返してほしんだけど」
「...懲りませんね、あれはこの世界を正しく想像し直すために必要な物です。貴方のような腐れ外道には不必要」
「ひっどいこと言うじゃねぇか。おい凃冲、引き金引く準備しとけ」
「はい...」
凃冲は信者の数の多さにここで殺されることを想像し、うるさくなった心臓を落ち着かせようと深呼吸をする。隣に立つ黒錆は来る途中で信者から奪ったバールをしっかり握り、教祖に向かって走り出した。
「信仰を妨げる者は全員排除します。同士よ、あの無礼者をヤミに葬りましょう」
どこに隠し持っていたのか、信者達は鈍器を取り出し向かってくる黒錆に向けて振り上げた。対する黒錆は信者の頭部や腹部など、ダメージの大きい部位を狙ってバールで殴る。凃冲は黒錆の背後を狙う信者に標準を定め、丁寧に慎重に引き金を引いた。
肉塊にバールがぶつかる音、信者の呻き、リボルバーの発砲音。治安の悪い音が響く。
「何を手こずっているんですか皆さん!」
焦りを帯びた声で教祖が叫ぶ。だがその声を聞く信者の数は黒錆によってどんどん減らされていく。
凃冲は黒錆の強さに若干、いやだいぶ引いていた。
「さっさと核を返してくれりゃ俺は大人しく帰るぜ?」
黒錆は余裕ぶっているが、実際は鈍器で殴られた腕や肩が痛んで体が重く感じていた。折れているかもしれない腕を無理やり振り回して信者にバールをぶつける。だがそれも少しずつ限界に近づいていた。
隙が見え始めた黒錆を狙って信者が振り上げた鈍器が直撃し血が飛び散った。黒錆は自分を殴った信者を力任せにバールで殴り気絶させる。
血が垂れる。
曽て角が生えていた右の額から。
包丁で根本から抉られた場所から。
「くそっ...!」
目に入らないように垂れた血を拭った。生暖かい液体の感触に、もう何十年も昔の出来事がフラッシュバックする。
情けない。凃冲がイカれた教団に殺されないように、自由に生きれるようにと手を差し伸べたのはお前だろ。狭腹さんに天使の核を持って帰ると言ったのはお前だろ。
一度差し伸べた手は相手が大丈夫になるまで握ってやらなきゃいけない。狭腹さんが俺にしてくれたように、俺も凃冲の手を握っててやらなきゃいけない。だから倒れるな。死ぬのは全てが終わってからにしろ。
黒錆はバールを握る手に再び力を入れ、周囲の信者に怒りとバールをぶつける。
「凃冲っ! 生きてるか!」
「もー弾ないでーすっ!」
思っていたより頑丈な精神をしている凃冲に安心する。だが隙は作らない。
やがて残ったのは黒錆と凃冲の二人、教祖、そして死体となった信者だけとなった。
黒錆はバールと祭壇に置かれていた酒瓶を持って教祖を壁際に追い込む。
「なぁ教祖様? 神とか想像とか天使とかよく分かんねぇけど、天使の核返してくれないと困るんだわ。あんたが持ってんだろ? 出せよ」
「あれは世界を想像し直すために必要な物なのです。貴方のような無礼者を殺すためにっ...!」
バールを振り上げ教祖の肩を殴る。
「今どんな状況か分かってんの? 素直に出してくれりゃ命は助けてやるよ」
「だからあれは世界をっ......!」
ゴツっ。
壁に叩きつけられた酒瓶が割れて中身が教祖にかかった。黒錆は完全に怯え切っている教祖の胸ぐらを掴む。
「そろそろうざいわそれ。どこにあんの? 天使の核」
流石に降参したのか、教祖は震える手で大事に隠し持っていた新品の小さな箱を差し出した。黒錆はその箱を受け取ると胸ぐらから手を離し、箱の中身を確認する。
数秒の沈黙。
「...よし、仕事終わり」
黒錆のその言葉に教祖は安堵したのか肩の力が抜ける。
「...帰りますか?」
一部始終を後ろで黙って見ていた凃冲が恐る恐る黒錆に声をかける。
「おー帰ろ帰ろ。でもその前にちょっと...」
黒錆は教祖に向けて煙草に火をつけるようにフゥと火を吹いた。酒が沁みた教祖の白いヒラヒラの服が一瞬で炎に包まれる。
「えっ? あっ、え...」
「これでお前は自由だな。まぁ警察に捕まる可能性は全然あるんだが...」
凃冲の視線は黒錆の後ろで痛みに踠きながら焼ける教祖に釘付けになっていた。
「あんま見んなよ、夢に出てくるぞ」
・・・
・・・
・・・
凃冲は筋肉痛の体を動かし黒錆の後ろを歩いていた。行き先は分からない。
「お前、元住んでた場所に戻るのか」
「...黒錆さんが許してくれるなら、戻らずに一緒に暮らしたいです」
「なんか甘え上手になった?」
「気のせいです!」
黒錆は鼻で笑う。
「俺は別に一緒に暮らしてもいい。けど、家事とか全任せするぞ?」
「いいですよ別に。引き籠って家事してた方が警察に捕まるリスク減りますし」
「あと、ネオンシティは子供が楽しく生きられる場所じゃない。それでもいいのか?」
「人殺しが楽しく生きれる場所なんてどこにもないでしょ」
「ははっ、それもそうだなぁ!」
「うわ、急に嬉しそう」
不意に歩みを止めた黒錆に合わせて凃冲も止まる。
「じゃあ改めて...」
黒錆は咳払いをひとつして凃冲に振り返った。
「ようこそ。ろくでなし共が集い愛する街ネオンシティへ」
・・・
・・・
・・・
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・・・
2056/12/08
黒錆は狭腹組の事務所に来ており、ボスである狭腹に天使の核を渡した。
「俺元の形知らないんでよく分からないんですけど、壊れてました?」
「真っ二つだ」
気まずい空気が流れる。黒錆は煙草を吸っていないとこの空気を耐えることができないので適当に話を振った。
「その天使の核ってどんな価値があるんですか? 高値で売れるとか...?」
狭腹は箱から割れた核の大きい方の破片を手に取る。それは大きさ一センチほどで、黒錆にはただの金属片に見えた。
「これは噂話なんだが、天使の核を食うと不死身になると言われてる。まぁ俺はこの噂を信じていないが、何かしら得られるものはあるだろうな」
「食うんですか? それ」
「あぁ。お前がな」
想定外の返答に黒錆は思わず「えっ」と声が漏れた。
「いや、俺なんかより狭腹さんが食った方がいいでしょ。それに俺は不死身なんて望んでませんし...」
「俺はお前の不死身を望んでいる」
「えっ...いや、俺はそんなっ...」
「鞘夏」
突然名前を呼ばれた黒錆は口を閉じる。
「俺は今までお前みたいな居場所のないガキを何人か助けてやった。だが全員死んだ。何故だか分かるか?」
「...いいえ」
狭腹の声がいつもより低く、黒錆は叱られた子供のように小さく項垂れていた。
「馬鹿だからだ。自分を過信していたからだ。だから死んだ。そしてお前も馬鹿だ。でもしっかりリードを握っておけばお前は良い働きをする。ちゃんと俺の命令を聞く。だからお前にはしょうもない死に方をしてほしくない」
場が静まる。何を返せばいいのか、何を言えば正解なのかと黒錆が必死に言葉を選んでいるうちに狭腹は次の言葉を吐いた。
「これは命令だ。食え」
差し出された狭腹の掌には天使の核が置かれている。拒否権が無い黒錆は小さく震える指でそれを受け取った。
不死身など望んでいない。特別な力など望んでいない。だが狭腹を怒らせることが、狭腹に失望されることが何よりも怖い黒錆は、命令通りに金属の見た目をした天使の核を口に入れて胃袋に流し込んだ。
「...気分は?」
「特には...」
「そうか。じゃあ今日はもう帰れ。あとしばらくは休んでていいぞ」
「はい」
部屋を出る。気分が悪い時、いつもならすぐにでも煙草を取り出し火を付けるのだが今はその余裕すらない。
黒錆は口元を手で押さえて吐き気を我慢しながら、重い足取りで凃冲が待つ我が家へと向かった。
登録ID:████-████-███
氏名:黒錆 鞘夏
居住区:第四区
職業:X
説明:天使信仰を行っていたカルト教団「真理の羽根の会」の教祖を含む信者らの遺体が、違法建築群に存在する廃ビル内で発見された。確認された遺体数は約四十名。公安特異二課の捜査により、黒錆鞘夏および十代の猫の獣人が事件に関与した可能性が高いと判断された。本件に関する資料および捜査権限は、すでに捜査一課へ移管済みであり、公安特異二課における対応は完了している。