楽しい惡魔


2059/01/13
「お疲れ様ー」

天使対策局(AAD)の本部に戻ると、同じ班の先輩である喇叭らっぱが、軽い調子で労いの言葉を投げてくれた。任務の疲れで沈んでいた尾白おじろの表情が、その声に釣られてほんの少しだけ緩む。

「そちらもお疲れ様です。報告書、もう片付いたんですか?」

「もちろん。終わってなきゃ、ここでオイルなんて啜ってないよ」

耐火性のグローブを嵌めた喇叭の右手には、局内の自販機で売られている重機用オイルの缶が握られていた。身体が炎と金属で構成されている彼にとって、高カロリーのオイルは人間でいうところのコーヒーのようなものなのだろう。

「それよりさ、アレ」

喇叭が尾白の背後を指し示す。振り返ると、そこには黒い粘液に塗れた班長が、いつもの帰還後の作業を淡々と行っていた。

「……なんで班長、天使の血でベちょベちょになってんの?」

「あぁ……」

尾白は気まずさに視線を泳がせ、乾いた苦笑いを浮かべる。

「実は、今回処理した天使が頭部のみの個体でして。……民家の冷蔵庫に保管されていたんですけど、扉を開けた瞬間に、断面から圧縮されていた血液がブワッと噴き出したんです。おまけに、私が変な角度でトドメを刺したせいであんな惨状に……」

「えー、いいなぁ。俺もその噴水、生で見たかったわ」

後輩の失態を、喇叭は頭部の炎を愉快そうに揺らして笑い飛ばした。そして、手元のオイルを満足げに一口飲み込む。

「笑い事じゃないんですよ。班長、さっきからずっと機嫌悪いんです。まあ原因は百パーセント私にあるんですけど」

尾白の太く白い尻尾が力なく揺れ、申し訳なさそうに耳がペタンと伏せられる。

「そんなに落ち込むなよ」と喇叭が適当な調子で励ましていると、そこへ黒い粘液を滴らせた被害者──海野うんの班長が割り込んできた。

「……何を話している」

地を這うような低い声に、二人の身体が石のように硬直した。海野は頭の先からつま先まで、天使の返り血でどす黒く塗り潰されている。至近距離で見ると、その惨状と異臭はさらに凄まじいものだった。

説教が始まりそうな気配を敏感に察知し、喇叭が「おっと、急用を思い出した」とばかりにそそくさとその場を逃げ出す。残されたのは、滴る黒い液体を纏った班長と、視線が泳ぎまくっている尾白の二人だけだ。

「あっ、あの! 本当に、申し訳ありませんでしたっ!」

精一杯の謝罪を込め、尾白は直角の見事なお辞儀を繰り出した。

「謝罪はもういい。……今回、俺がこうなった直接の原因は何だ?」

冷徹な問いが頭上に降り注ぐ。尾白は恐る恐る顔を上げた。

「えっと……対峙した天使から血液が噴き出した際、それを反射的に攻撃だと誤認してしまい、冷静な初動が遅れました。その結果、想定外の角度で刃を入れてしまったためです……」

「そうだ。で、改善点は」

「いかなる不測の事態においても、動揺せず最適解を選択できるよう、実戦形式のシミュレーションを重ねること……でしょうか?」

恐る恐る班長の顔色を窺う。だが黒い液体に覆われた無表情な面からは、納得しているのか呆れているのか、その本心が全く読み取れなかった。

「今後、同じ醜態を繰り返さないよう善処しろ。分かったな」

「はいっ!」

海野の肩からふっと険が抜け、それを見た尾白の強張っていた身体もようやく弛緩した。

「今回の報告書、お前が書けよ」

「あっ、はい! もちろんです!」

「早めに提出しろ。俺だって暇じゃない。……それと」

「?」

海野が小さく溜息を吐いた次の瞬間だった。彼は背後を振り返ることなく、怒号を響かせた。

「こそこそ見てんじゃねえぞ、喇叭! 貴様の報告書、期限は今日の昼までだったよなあ!?」

その凄まじい声量に、尾白の方が「ぴゃっ」と跳ね上がる。自販機の陰で様子を伺っていた喇叭は、完璧な隠密を破られたことに「マジかよ……」と本音を漏らし、降参するように両手を挙げて姿を現した。

「ちゃんと終わってますって! 班長が戻ったら判子もらおうと思って、出待ちしてただけですよ!」

「ならさっさと持ってこい! 事務を停滞させるな!」

喇叭はブツブツと文句を言いながら、脱兎のごとく執務室へ走っていった。怒鳴り合いの余韻に取り残された尾白は、所在なげに指先をこねる。

「……俺はシャワーを浴びてくる。お前も遅れるなよ」

海野はもう一度深く溜息を吐き、靴裏に付着した粘液で床に黒い足跡を刻みながら、エレベーターの闇へと消えていった。
 
 
 
 

天使処理報告書

処理日 2059年1月13日 8時41分

担当支部 天使対策局本部
発見現場 第三区永安 アパート██████の201号室 冷蔵庫

担当 第二班 海野ウンノ 治人ハルヒト
       尾白オジロ 芙羅芙羅フラフラ

負傷者 0名
死亡者 0名

概要 民家の冷蔵庫にて頭部のみの個体を確認。何者かによって切断・保管をされていたと思われる。当該個体は生きており、冷蔵庫の扉を開けた直後、切断された首の断面から血液が噴き出した。攻撃によるものではなく、なんらかの圧が加わったことによる現象だと思われる。

報告者
階級 二級隊員
氏名 尾白 芙羅芙羅

承認
階級 主任
氏名 海野 治人


 
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